
21時に寝て、3時に起きる生活が3日続いている。ついさっきまで、近くのBarからは音が大音量で氾濫していた。
滞在先はレオンという街で、セミナーの会場のあるグアナファトまで、車で1時間ほど。毎朝、朝焼けの中、車を走らせてくれるのは、今回、コーヒーセミナーを企画してくれた中心人物である関山さん。往復2時間。本当に頭が下がる。
朝の街の景色は、その国(またはその街)の象徴かもしれない。旅で訪れた台湾でも、油の滲んだ食堂や店先で朝食を食べる人たちの後ろ姿を見て、同じことを感じた。
レオンの朝、広い道路に連なる車をみていたら、父親の出勤風景と重なった。
私の父は、街の外れの工場地帯で仕事をしている。街を抜けて、橋を渡って、毎日40分以上をかけて、出勤する。自家用車のときもあれば、脚立の載った2トントラックのときもある。
高校生のとき、埃りっぽい父の2トントラックで、何度か駅まで送ってもらったことがある。クッション性の低いシートに腰かけると、制服のプリーツスカートがよれて、いつもよりもきつくしわができた。
この街の朝の景色の中に、決して「仕事人間」というわけではなく、とにかく家が好きで、家族のために働く父の姿を重ねた。メキシコ人の運転する「マツダ」や「ホンダ」の後ろ姿が、今出てきたばかりの家に、“早く帰りたい”と言っているような気がした。決して仕事そのものが憂鬱なわけではなく、早く帰りたいから、早く仕事に行きたい、というような陽気さをまとって。
レオンや周辺の街は、近年、特に自動車産業での日系企業の進出が目覚ましい。多くの日本人が、単身で、または家族でメキシコにやってきて、このメキシコの中央高原で生活をしている。
そのせいか、
「Bienvenidos」
「Welcome」
の下には、チアパスでは見掛けることのない日本語で
「ようこそ」
の文字。
日本の企業がメキシコという国(政府)に歓迎されている、という実感が街の至る所にある。日本人にとっても、メキシコ人にとっても、メキシコの中央高原に、千載一遇の「機」を見ているかもしれない。
同時に、メキシコに限らず、海外にいくつも工場を建てて、現地の人を数多く採用している「企業」というものが、人の暮らしや社会に与える影響の大きさを感じずにはいられない。
企業の選択が社会を変える。人びとの人生に大きな影響を与える。
そしてグアナファトに入ると、一転、若い日本人の姿を見掛ける。話を聞くと、メキシコに留学中の大学生だという。ほとんどの学生は、スペイン語の勉強のために、そしてメキシコが好きという理由で、こちらに来ている。そんな学生らに向かって、大人たちは、
「スペイン語を身につけておけば、職に困らない」
と言うベクトルからエールを送る。
生きることと働くことは、とても密接だ。ワーカホリックで、今にも倒れそうな人が
「私は、生きるために、働いているのです」
と答えかねない社会だ。
「就職に有利だから」と学校を選び、「給料が良いから」と仕事を選び、「儲かるから」とビジネスを興す。
だけど、私は、これまでに、そんなふうに「合理的」にものごとを判断して来なかった。合理性を否定しながら、どこかで嫉妬していたかもしれない。その「器用さ」に。
今回、私はなぜメキシコへ、それもコーヒーの木のない街へやってきたのだろう。単に一度訪れたグアナファトの景色を、もう一度見たい、というだけではなく、メキシコの人たちに、自分たちのコーヒーの素晴らしさを感じてもらいたい、というだけでもなかった。
私は、活気づいていると思われるメキシコの様子や、その渦中にある人たちを見て、その「機」を自らも捉えようとしていたのかもしれない。でも、そんな下心で私が得たものは、合理的な判断から導く「機」とは真逆の、「心のままに生きること」という合理的かどうかとは無縁な思い。
「生きるために、働いているのだ」と言って、命を落とすような矛盾を抱えながら生きていてはダメだ。
あなたほど、気ままに生きている人はいないでしょ、と思われるかもしれないけれど、レオンの朝の風景に、ハンドルを握るメキシコ人の横顔に、いつもは上手に隠せているはずの自分の中の「矛盾」を直視した。
家が大好きな父は、当時住んでいた集合住宅の中で、誰よりも早く家に帰ってきた。そして、今もなお、彼は、心のままに生きる人だ。
コーヒーセミナー3日目の朝。今日、来てくれる人に、喜んでもらいたい。それが「心のままに生きる」ための原点であることは、間違いがない。