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人びとが希望をもって生きていける機会を捉え
サービス(モノ・コト)に変える


ごあいさつ
ごあいさつ

豆乃木の代表杉山よりメッセージです

人びとが希望をもって生きていける機会を捉え、サービス(モノ・コト)に変える 2011年10月20日杉山世子*一村一品運動で関わっていたマラウイ国の人たちと杉山(左) 2011年3月、東日本大震災が発生した。この忘れがたい年の10月20日、代表、杉山世子(すぎやませいこ)は豆乃木と名付けた会社を登記した。 コーヒー豆屋だから「豆乃木」と思う人が多いかもしれないけど、実はコーヒー豆屋になる決心を...

CI(コーポレート・アイデンティティ)に込める願い
CI(コーポレート・アイデンティティ)に込める願い

豆乃木のCI、あなたはどんな風に見えますか? 豆乃木のロゴには「人と未来を育む」という意味が込められています。人の横顔と、天に伸びる木が並んでいるように見える方がほとんどですが、見方を変えると、地図のようにも、実をつけた太い幹のようにも見えます。 豆乃木の可能性をデザイナーがカタチにしてくれました。Designer:unaco design room 

コンセプト
コンセプト

株式会社豆乃木の経営コンセプト

Te to Te(手から手へ)そしてFull of dreams(まだゆめのつづき)創業時に掲げたTe to Teのコンセプト。2023年8月には屋号を豆乃木からまだゆめのつづきへとリニューアルしましたが根底に思いは変わりません。・コーヒーと一口に言っても、その年の出来栄え、気候や風土、作り手の意思によって、さまざまな風味特性を備えています。[まだゆめのつづき]がご提供するコーヒーには、その...

海外活動履歴
海外活動履歴

豆乃木及び代表杉山の主な海外での活動履歴を載せています

杉山世子海外活動履歴2000年7月青年海外協力隊としてジンバブエへ(12年度1次隊・ソフトボール)寄稿文「ジンバブエソフトボール」2002年8月ジンバブエより帰国2003年5月青年海外協力隊としてケニアへ(15年度短期・ソフトボール)2004年5月ケニアより帰国2006年3月青年海外協力隊としてマラウイへ(短期・村落開発普及員/一村一品運動)2006年10月マラウイより帰国2008年8月青年...

フェアトレードについて
フェアトレードについて

豆乃木が掲げるフェアトレードに対する指針

フェアトレードってなあに? フェアトレードとは発展途上国の農産物や雑貨などを、適正な価格で継続的に輸入・消費する取り組みです。具体的には、長い間、私たちが買っているコーヒーやチョコレートは、どこで、どんな人が作っているかわかりませんでした。小さな子どもたちが働き手となり、長時間労働をおこなっても、作っている人たちには十分な収入が行き渡らないこともありました。フェアトレードでは、児童労働を禁...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業前の学生生活
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業前の学生生活

こちらは杉山が出身大学のWEBサイトに寄稿した文章です

こちらは、SFCクリップへの寄稿文より 10年遅れて入った大学が、SFCだった SFCに入る直前まで、私は、高卒のアフリカ帰りだった。青年海外協力隊として赴任していたマラウイから帰国して間もなく、実家のある浜松市からSFCまで3時間ほど車を走らせ、AO入試の願書を取りに行った。わざわざ車で取りに行かなければならないほどに、出願までに残された時間は少なかったけれど、その数か月後に、すでに還暦を...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業元年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業元年

こちらは杉山が『三田評論』という冊子に寄稿した文章です

大学を卒業した年の10月、私は株式会社豆乃木をたったひとりで立ち上げました。社会人経験もさほどなく、自己資金も乏しい。売上の見込みもなく、あるのは「メキシコ産マヤビニックコーヒー」を日本中・世界中の人に喜んでいただけるものにし、企業として途上国のパートナーと共に成長したいという強い思いだけでした。在学中、所属していた山本純一研究室のプロジェクトでこのコーヒーに出合いました。プロジェクトは、経...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後2年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後2年

こちらは杉山が『みんぱく』という雑誌に「これからの10年」として寄稿した文章です

マヤビニックコーヒーを販売するに至った経緯 株式会社豆乃木を創業したのは、大学を卒業して半年が過ぎた頃だった。新興国と関わるビジネスを興したいという願望はあったが、ずばりマヤビニックコーヒーを販売するために起業を決意したわけではなかった。そこに至る過程で、マヤビニックコーヒーとの関わりを10年以上に渡って持ち続ける慶應義塾大学山本純一先生から背中を押していただいたことはとても心強かった。さら...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後3年半
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後3年半

こちらはご購入いただいたお客様にお送りしている『豆乃木ニュースレター6月号』に加筆修正を加えたものです。

お約束 すでに該当される方には、お便りをお送りさせていただきましたが、先月、2015年5月18日、ある特定のお客様にお送りしたメールマガジンに、誤送信があり、結果的に、多数のお客様にご迷惑をお掛けしてしまいました。改めてお詫びさせてください。本当にご迷惑をお掛けしました。もう一度、皆様に信頼していただける会社を作っていく、そのことをお約束いたします。 豆乃木を創業する際に、100年続く企業を...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後4年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後4年

こちらは2015年協力隊50周年にあたり、寄稿した文章です。

こちらは2015年協力隊50周年にあたり、寄稿した文章です。テーマは隊員になるまで、その後の「ビフォー・アフター」青年海外協力隊としてジンバブエに赴任したときは21歳だった。 ソフトボールの部活動で、アメリカに遠征した高校1年の時に、破顔の笑みでボールを追いかけている同世代のアメリカ人の女の子たちと、日々の練習が苦痛でしかなかった自分自身とを比べて、ひどく落ち込んだことを覚えている。海外への...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後5年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後5年

10月20日の創業した日を前に・・・

2016年9月のある祝日の木曜日。3組のお客様をお迎えすると、たちまち満員御礼となるクライネスカフェ(ドイツ語で小さなカフェという意味だそうです)を訪ねました。山間(やまあい)のカフェにたどり着くまでには、天竜川にかかる大きな橋を渡り、山道を、弧を描いてずんずんと走ってゆく。それは気持ちの良いドライブコースです。その日は時折強い雨が降っていました。でも木々の合間に落ちる雨さえも、美しい里山...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  そして浜松へ
豆乃木がなる日 Story of mamenoki そして浜松へ

事務所移転と「お母さん」の存在

浜松に拠点を戻そう、と思ったのは、フェアトレードタウン運動が盛んになった2016年の頃。そして、2017年6月12日、月曜日。その日から、豆乃木は、友人家族の好意で、浜松市西区舞阪町の小屋を、作業場として利用させてもらうことになった。「とりあえず、1年間は甘えさせてもらおう」と、思ったけれど、実は、その家族には、17、18歳の頃から、ずっと甘えっぱなしだった。その建物は、高校時代の友人家族の...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後6年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後6年

2017年10月17日。マヤビニックコーヒーを日本のロースターさんに紹介してくれた恩人でもあるグラウベルコーヒー、狩野さんと、グラウベルコーヒーのproducerでもある藤原さんが、トークイベントを企画してくださった。<対談>であったはずなのに、私が一方的に喋りすぎてしまい、3日経った今でも反省している。事前にいただいた質問票の、ほとんどは、お話できなかった。狩野さんに、もっとえぐってもらう...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  7年目に射した光
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 7年目に射した光

日墨交流会会報37号への寄稿文です

日墨交流会から、今回の講演のお話をいただいたとき、私は今年2度目となる渡墨に向けてのスケジュール調整に難航していたこともあり、講演の日程ばかりにフォーカスするあまり、その責務をよく理解できていませんでした。 当日、メキシコ大使館を訪ね、90名以上もの「メキシコのプロ」のご参加をいただき、日の丸とメキシコ国旗のある檀上を眺め、土壇場になって私には荷が重いと焦りましたが、「メキシコのプロ」の皆さ...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後7年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後7年

先日、不思議な出会いがあった。   静岡市にある大好きなレストランで、食事を済ませて、車を出そうとしたときに、私の不注意で、停車してあった他の車に傷をつけてしまったのだ。 私は慌てて店内に戻り、車の所有者を探したところ、ある女性のものだとわかった。 お詫びをし、その方と連絡先を交換するために、お互いに名刺を差し出すと、その方が「マヤ暦」の鑑定をされることを知る。状況が状況だけに、不...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後9年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後9年

写真:豆乃木創業10年目の記念に作ったコーヒーキャニスター 大学卒業して、起業したばかりの頃。 恐らく私の伝え方や表現が悪かったのだと思うけれど、こんなことを言われたことがあった。   「慶應(大学)出て、すぐに起業でしょ?つまりあなたが裕福だからフェアトレードとかできるんでしょ。どうせ親から出資してもらって、会社やってるんだよね。」   あれは何かの講演後の、歓談の時...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後9年 番外編
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後9年 番外編

写真:両親から、誕生日にサプライズのプレゼント私には、人生で一番幸せな日はいつか、と聞かれたら、はっきりとこの日です、と言えるような日はない。もしかしたら、両親からサプライズでもらったマヤビニックの麻袋の入った額をプレゼントをされた今日かもしれないし、美味しいピザをご馳走になった昨日だったかもしれない。   でも、人生で一番最悪な日がどれか、と言われたら、私は、20年前のある一日...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後10年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後10年

豆乃木は2021年10月20日で、10歳になる。コロナ禍で、コーヒーを求める方が増えたためか、当社も毎日コーヒーの出荷に追われている。今日のように、月曜日は、週末からの注文がたまっており、スタッフはまるで、何かの競技者になったかのように、狭い作業場の中で、両手をフル回転させて出荷に当たっている。こんな日が来るなんて、数年前は想像できなかった。10年前、わたしはひとりで豆乃木を立ち上げた。しば...

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業後11年
豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後11年

2022年7月のある日。かつてたった6か月間ではあったが通っていた職場に呼んでいただき、コーヒーのお話しをさせていただいた。その職場は、大学院大学という場所で、少し特殊なのだが、「光」技術をもちいて産業を興し、社会しいては国づくりに寄与することを建学の精神としており、その根幹には「起業家の育成」が掲げられている(と、理解している)。私は光技術とは全く無縁なのだが、今から12~3年前に一派遣社...

豆乃木でなくなる日 Depurture from mamenoki 起業後12年
豆乃木でなくなる日 Depurture from mamenoki 起業後12年

  起業12周年を機に名称を変更することになった。他にも事情はあるのだが、とてもよい機会だと思って。7月中旬、ちょうどエアコンのタイマーが切れたであろう1:30に目が覚めて、そこから眠ろうとするのだが、断続的に目が覚め、目が覚めるたびに、生まれつつある「名称」に思いをはせた。とにかく寝苦しい夜だった。 この1か月、寝ても覚めても、「新しい名前を決める」というミッションに、わたしは...

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