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豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後7年

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豆乃木のこと

豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後7年
先日、不思議な出会いがあった。
 
静岡市にある大好きなレストランで、食事を済ませて、車を出そうとしたときに、私の不注意で、停車してあった他の車に傷をつけてしまったのだ。
私は慌てて店内に戻り、車の所有者を探したところ、ある女性のものだとわかった。
お詫びをし、その方と連絡先を交換するために、お互いに名刺を差し出すと、その方が「マヤ暦」の鑑定をされることを知る。状況が状況だけに、不謹慎だとは思いながらも、
「実は、うちもマヤのコーヒーを販売しているんです」
と口に出さずにはいられなかった。
 
静岡と浜松は、高速でも1時間かかるくらいの距離があって、なかなか頻繁に通うことはできないのだけれど、それでも私は、このレストランが大好きで、何かきっかけを見つけては、食べに行く。
そんなすばらしいレストランで、その女性が、ご家族でゆっくりお食事をされているときに、車を傷つけ、食事を中断させてしまったことは、本当に申し訳なく、自分の不注意をひどく反省するのだけれど、その女性は、終始、穏やかに対応してくださったあと、何か思い出したかのように、私に生年月日を尋ねたのだ。
 
何日か経って、車の修理を終えたというご連絡とともに、私の手元に「マヤ暦の鑑定書」が届いた。
 
マヤ暦、興味あります!
と確かに私は言ったが、まさかこれほど丁寧な鑑定の結果が届くとは。
さっそくページをめくると、それは時々、専門書を読むように難しい表現がありつつも、ひとつ、2020年が私にとってとても重要な年であることがわかったのだ
 
あと2年か・・・。
 
ちなみに、鑑定書によると、2020年以前に同じように重要だった年がいつだったかと言えば、私が8歳、つまり小学2~3年生のときだと言う。8歳のときの自分がどうだったかは、全然思い出せないが、8歳のとき以来に迎える節目の年だ。おちおちしてはいられない。

2020年に向けて、今から準備できることはなんだろう。さらに数日後、私は40歳になる。40代をいかに過ごすか。どこで過ごすか。
 
私の幼馴染は、20代の途中からアメリカにわたり、その土地で資格を得て、看護師として働きながら、二人の子どもを育てている。きっと彼女はもう、浜松市民になることはないだろう。
 
自分が生まれた場所と同じように、自分が暮らす場所は運命的に決定づけられているのだろうか。
 
ある程度の年になってから、私は、自分の居場所を自分で選択してきたように思う。
例えば、小学生のときに、神戸からの転校生の存在で、関西に強い憧れを抱き、高校を卒業して、大阪の専門学校を選んだとき。
その後、やはり中学生くらいの頃から抱いていた海外で暮らしてみたい、という願望をもって、アフリカにたどり着いたこと。
さらに、「高校教師」という映画を観て、湘南への憧れを感じて、大学進学の際、湘南エリアで暮らしたこと。
 
断片的な情報だけを頼りに抱いた「憧れ」が、新たな場所に私を引っ張り出した。断片的な分、神戸だったはずなのに大阪に行ってしまったり、本当はアメリカに留学したかったのに、アフリカに行ってしまったりと、そのズレは幾分コミカルではあるものの、そのズレが大きければ大きいほど、新しい「衝動」が生まれるきっかけにもなった。
アフリカに行っていなければ、まったく違う人生になっていただろうから。
 
たしか2015年だったと思う。
自分の居場所を定めたくて、ある人に相談したことがあった。
「このまま大学時代から親しみのある神奈川に残るべきか、それとも浜松に帰るべきか」
結局、そのときもそうだったのだが、答えを求めようとすると、答えは出ない。
けれども、その翌年に、浜松市をフェアトレードタウンにする、という活動に参加したことで、結果的に、生まれ育った浜松に戻ってくることになった。友人家族の好意もあって、浜松市内で作業場を借り、改装して、浜松が私の居場所になって一年が過ぎた。
そして今、12月に12度目の渡墨を予定している。毎度思うことではあるが、10年前はまったく無縁だったメキシコに、まさかこんなにも通うことになるとは。
 
いつも何かに挑戦をするとき、私は新しい土地にいた。2020年、そしてその先に、私はどこに導かれるだろうか。
宇宙でさえも、「人が行ける場所」になった今、言葉が違うとか、文化、習慣、宗教が違うとかで、本来、繋がっているかもしれない道を自ら遮断することはやめよう。その先に、自分がつくりたい未来があるから、今は目の前にひろがる道を、信じて歩いて行こうと思う。