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メキシコのコーヒーとその歴史 2

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2015/04/06

メキシコのコーヒーとその歴史 2

メキシコのコーヒーとその歴史について改めてアップしています

メキシコのコーヒーとその歴史 2

マヤビニック組合の人たち

メキシコのコーヒーと歴史 1のつづきです。

メキシコにコーヒーがやってきた
スペイン人がキューバとドミニカ共和国からコーヒーの苗を持ち込んだ18世紀後半まで、メキシコにはコーヒーはありませんでした。その数十年後に、ドイツ人とイタリア人の移民が、グアテマラかや他の中米諸国から移住してきたことで、換金作物としてのコーヒーの栽培が始まったと言われています。
1790年代、最初のコーヒープランテーションがメキシコ・ベラクルス州南部で始まったとき、スペインによる植民地支配は、すでに深くその地域に根付いていました。しかし、銀や金など、メキシコの豊富な鉱物によって、長い間、コーヒーやその他の農産物は、価値を見出されることはありませんでした。そのため、先住民らは、メキシコ南部の辺鄙な山間地に、小さな土地や共有地を所有することを許され、コーヒーを栽培することになったのです。

コーヒープランテーションの興り
スペインからの独立後になって、コーヒープランテーションが広がりました。その背景には、1860年代のグアテマラとの国境紛争によって、土地登記が進められたことが挙げられます。この制度によって、富の多くを所持していた少数のヨーロッパ人が、それまで「未登録」とされていた広大の土地を購入し、長期的に農業に取り組むこととなったのです。
地元の名士や政治家は、次第に、自分たちの土地を確保するために、小規模農家をさらに山間へと強制的に追い出し、代わりに、先住民の男性が、それまで彼らが所有していた土地で奉公させたのです。なので、小規模農家がコーヒー栽培に専念できたのは、メキシコ革命以降になります。

メキシコ革命と「農奴」が解放
メキシコ革命後の農業改革によって何千人もの先住民グループや労働者に、小さな土地が与えられました。1914年の労働法によって「農奴」が解放され、コーヒープランテーションで奉公していた小作農が、それぞれの地域に戻り、奉公先で培ったコーヒーを育成するためのスキルや、コーヒーの苗をもたらしました。
20世紀初頭、メキシコの政党PRI (Institutional Revolutionary Party)がメキシコ国立コーヒー研究所を作り、徐々に、コーヒー栽培は、農村セクターへの社会投資だけでなく、外貨獲得が見込め、国の経済に貢献するものと考えられました。
メキシコ国立コーヒー研究所の支援の厚かった1973年から1990年にかけて、地方でのコーヒー生産が爆発的に増えました。

協同組合の社会的意義
その後、コーヒー市場の下落や石油価格の降下によって、コーヒー生産者に対する支援が打ち切られることとなりました。そこで、
カトリック教会などの支援を得て、オアハカのCEPCOとUCIRIといったメキシコで初めてのコーヒー協同組合が生まれ、1990年代初頭、コーヒー生産者にとって不可欠な存在となりました。

協同組合は、コヨーテ(仲買人)の搾取から農民を守り、従来のコーヒーよりも価値が見込める有機コーヒーを栽培することを推し進めていきました。協同組合のいくつかは、学校や病院と言った社会サービスを提供するなど、世界でももっとも魅力的な社会運動としての基礎を築いたのです。