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【DAY12】 メキシコふわふわ平和論 

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杉山世子の【メキシコ滞在記】

2014/08/06

【DAY12】 メキシコふわふわ平和論

豆乃木杉山は7月26日より2か月間メキシコに滞在します。日々のことを綴ります・・・

【DAY12】 メキシコふわふわ平和論

サンクリストバルのシンボル、カテドラル(大聖堂)

メキシコも4度目の訪問ともなると、シャッターを押そうという気配もなくすぎてゆく。長期滞在では、鮮度は早く失われるほうがいい。その方が町が体に馴染む。
 
シャッターを押す気がないとなると、こうして綴ったものだけが、私の滞在の足跡になっていくはずだから、一度、これまでの2週間を総括したい。
と、その前に、すでにメキシコにいることは、何事でもないように言ってしまったのだが、恐らくこんなに身軽に月単位で海外に滞在できるのは、これが最後かもしれない。だから本気でここにいられる時間を(シャッターを押さずとも)慈しんでいることも付け加えておく。(また収穫の時期に合わせて、日本を飛び出しているかもしれないけど…)
 
 
さて、突然だけれど、これを奇跡的に読んでくださっている人の中で、今日、平和について考えたり、願ったりした人はいるだろうか。もしかしたら、奇しくも8月6日、そして8月8日は日本に世界で初めて原爆が投下された日だから、いつもより平和を意識したかもしれない。


私は、ここに来て、平和とは何かをよく自問する。俗物的な私のこと、日本にいると、まずそんなことは考えない。平和か平和じゃないかなんて考えている余裕さえない(ということは平和なのだろうけれど)。
 
 
平和っていうのは、多くの学者が言うように、危機がない状態を言うのだろうと思う。
一方で平和とは構築するもの、という考えがある。積み上げ、足し算する考え方だ。
 
焼け野原だったとき、そこに建物を建てて、生活する必要があった。
 
耕す畑さえなくなったとき、どこかに土地を見つけて食べ物を育てる必要があった。
 
家族を失ったとき、失った家族の分も生きようと勇気を振り絞る必要があった。
 
 
本来は、積み上げた結果に平和があるはずだったけれど、実際はそうでもないようで、タイムラインを流れるニュースは目を背けたくなるものばかり。積み上がったものの中で、平和に暮らしているはずの私たちは、果たして幸せなのだろうか。
平和だと、そこに幸せがあるはずなのに、平和だけど、幸せではないと感じられなくもない現象の数々・・・。
 
私たちは足し算が好きだ。私もメキシコに来て、何かを得ようとしている。でも本当に必要なことは、シフトをニュートラルに戻して、なにごともないことを、嬉しいね〜、と感じられる心を取り戻すことのような気がする。今、手にしていると勘違いしているものを、パッパッと払い落としてもいいかもしれない。


ところで、なぜこれがメキシコ滞在2週間目の総括であったのかは、私にもわからない。
 
ただ言えることは、今、私はメキシコにいて、なにごともなく、幸せです。でもできることなら、私個人だけではなく、世界まるごとすべてを「何事もなく平和で幸せ」の状態に0.000001ミリでも近づける仕事をしたいと願っている。