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【メキシコ滞在記/2018年4月】巣立ち 

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杉山世子の【メキシコ滞在記】

2018/04/30

【メキシコ滞在記/2018年4月】巣立ち

2018年4月27日より5月8日まではメキシコ滞在記でお楽しみください。



「なぜメキシコに、そしてマヤビニックコーヒーに携わるようになったのですか?」
と、今でもよく聞かれることがある。
それは、28にして入学した大学の研究室でコーヒー生産者の自立支援を目的としたプロジェクトにかかわったことがきかっけになっている。

在学中より、起業講座のスタッフとして携わりながら、自らも起業する道を模索していたあの頃。
自分には何ができるのか。
何がしたいのか。
何が求められているのか。
ということを日々考え、みつけたのが、そのときに、自分が携わっているメキシコのコーヒーだった。

大学の研究室主導のプロジェクトにおいても、ルイスはキーパーソンだった。
まだメキシコにも行ったことがなく、当時、関わりのあった3つの生産者団体の名前(マヤビニック、バチルマヤ、セスマッチ)を何度聞いても覚えられなかった私だが、ルイスという人には、少なからず親しみを感じていた。現地のプロジェクトマネージャーをつとめてくれた人物でもあったからだ。

豆乃木をつくってから、単独でメキシコへ行くようになっても、すぐに思い描くような「フェアトレードのパートナー」にはなれなかった。いつまでたっても、単なる「訪問者」にすぎなかった私を、いつもアテンドしてくれたのがルイスだった。ルイスの(少し怖い)運転で、何度も産地へ連れて行ってもらった。

ルイスはメキシコのメリダ出身で、マヤ先住民ではなく、組合員ではないものの、組合員のみんなからもよく慕われて、組合創設依頼、ずっと献身的に彼らと関わっていた。
マヤビニック組合のみんなとうまくコミュニケーションがとれなくて、メキシコ訪問が憂鬱になっていた時期も、いつも味方でいてくれたルイス。私たちはお互いにいつまでも上達しない英語で会話をしていた。スペイン語ができない私にとって、彼だけが唯一、言語でコミュニケーションがとれる人だった。絶対的な安心感があった。

それなのに、ある年、突然ルイスが、
「今回はボクはSeikoに同行できないけれど、彼ら(マヤの人たち)と一緒にコミュニティへ行っておいでよ。きっと楽しくなるよ!」
そう言って、私の背中を押した。
そのときから、マヤビニックのみんなを近くに感じられるようになった。

その滞在をきっかけに、マヤビニック組合とのメールのやりとりも、ルイス経由ではなくなっていた。私はGoogle翻訳頼みのスペイン語で、マヤビニックのメンバーとやりとりを始めた。
同じころ、フェアトレード認証団体での仕事を兼業するルイスも、忙しく国内外をまわるようになり、メキシコ訪問時に会えないこともあった。

そして今日、マヤビニック組合の事務所で、メンバーとミーティングをしていると、扉の向こうにルイスの顔が見えた。
「あ、ルイス」
私は思わず声をあげ、ルイスが近づいてきた。
茶目っ気たっぷりに日本語を交えてあいさつをしてくれたルイスは、
「もうボクがいなくても、大丈夫だね!」
と嬉しそうに微笑んだ。

ルイスはよく私に
「コミュニティ(生産地)に行って何を感じた?」
「今日はメンバーと接してどんな風に感じた?」
と、私の「感想」をよく聞いてくれる人だった。
何を見たか、ではなくて、それを見て、どう感じたか?を常にたずねてくれる人だった。
当時、いつも強張った表情をしている私を見て、ルイス自身もいろいろ感じていたのかな、と今になって思う。

産地に通い始めて7年。
「もうボクがいなくても、大丈夫だね!」
という言葉は、ルイスからの卒業証書のようで、いつまでも私の中で、さわやかに響いた。