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「ただいま」と言える場所があるからこそ、私たちは「いってきます」と言えるのだ 

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講演

2017/07/25

「ただいま」と言える場所があるからこそ、私たちは「いってきます」と言えるのだ

千葉県内の高校の保護者会で講演させていただきました

高校生のお子さんをもつお母さんたちに、どんなお話をしたら良いのだろうか。
千葉県内の高校のPTAの皆さまにお話をさせていただく機会をいただいたものの、結局、何も思い浮かばないまま、前夜、ご提供する水出しコーヒーの仕込みをしていた。

わたしと同じように、突然、アフリカへ行きます、と言って、飛び立つような子どもにならないための注意事項だろうか。
だとしたら、わたしの父親のように、
「おまえ、アフリカに行けてラッキーだな。
「おまえは本当に運がいいな。」
とは言わないことだろう。

または名前に、安易に

「世界に羽ばたく子で世子」

とか命名しないことだろうか。
…などなどは要らぬ心配だったのかもしれない。

お話を終えて、ご参加いただいたお母さん方から、続けてご質問をいただくことになった。これは実は珍しいことだった。
というのも、私の話は、自己完結してしまっていて、質問を挟む余地がない、とときどき親しい人たちから突っ込まれる。今回も、そんな内容だったにも関わらず。
まさにこれから、進学、または就職?留学?しようとしているお子さんを持つお母さんたちこそ、自分たちの子どもが羽ばたくかもしれない「世界」に、興味を持っている方も多いのかもしれない。

今の高校生が、今のわたしとおなじくらいの歳になったとき、日本は、世界はどんな様子だろうか。
20年後、わたしたちは、どんな世界にいるのだろう…。

今日も話の中で少し触れたが、17年前に訪れ、出逢ったジンバブエの人たちはみんな一様に貧しかった。(今はどうかはわからないが)

お金がないから進学はしない。
女の子は家の手伝いをしないといけないから、スポーツには参加できない。
出生証明書がないからパスポートが取れない etc

いろいろなことがあって、そのほとんどが
「まあ、仕方がないよね」
とあきらめざるを得ないと感じることばかりだった。
わたしはたまたま日本人として生まれただけで、幼い頃から、なんの躊躇いもなく夢を持つことができた。21歳でジンバブエに行ったときも、学もなく、英語もちんぷんかんぷんだったけれど、まったく翳りもなく、ただただ希望に満ち溢れていた。

では、「20年後の高校生」は、あのときのわたしみたいに、張り切れんばかりの夢を抱けるのだろうか。日本は、18歳の若者が夢を抱くことができる国であり続けているだろうか。そこに希望があるだろうか。

日本という富める国、に生まれたはずのわたしの母国は、20年後、どうなっているだろう。どうなってしまうのだろう。わたしがジンバブエで過ごして、嘆いていたような、「希望を抱きにくい国」に、日本もなってしまうのだろうか。

わたしには、なんの先見性もないけれど、きっとみんなが心理的にも物理的にも、悠に国境を飛び越えて、国籍とか宗教にしばられないで、世界中を「自分たちの居場所」と捉えられることで、雁字搦めの日本という国に、余白がうまれると期待する。余白こそが可能性だ。

そのためには、じぶんたちの社会や、じぶんたちの世界にもっともっと興味を持たなければ。
だから、いつまでも、日本は島国なので…、つい最近まで鎖国していましたので…と言うのはやめだ。

それから、今日、暑い中、学校にお集まりいただき、重い荷物を持つのを手伝ってくださったお母さんたちの愛情に触れ、思うことは、母(父)の愛情と、寛容さがあるからこそ、子どもは安心して羽ばたくことができる。「ただいま」と言える場所のあるからこそ、「いってきます」って言えるのではないだろうか?

これからも、「かわいい子には旅をさせよ。」が通じる世界でなければ。危ないからやめなさい、危ないからここにいなさい、が常態化してしまったら、日本に未来はない。

子どもたちは、本当の意味での「地球の歩き方」を学び、自己防衛意識とチャレンジ精神を共存させながら、未来を切り開いていってほしい。そしてわたしもまだまだ、そんな「子ども」でありたいと思う。

なんでだろう、今日の感想を書きながら20年後の世界に思いを馳せるなんて。

帰り道に立ち寄った豆NAKANOさん。8月末に幕張に新店OPENです!!楽しみ。