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豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後5年

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豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業後5年

10月20日の創業した日を前に・・・


2016年9月のある祝日の木曜日。3組のお客様をお迎えすると、たちまち満員御礼となるクライネスカフェ(ドイツ語で小さなカフェという意味だそうです)を訪ねました。
山間(やまあい)のカフェにたどり着くまでには、天竜川にかかる大きな橋を渡り、山道を、弧を描いてずんずんと走ってゆく。それは気持ちの良いドライブコースです。
その日は時折強い雨が降っていました。でも木々の合間に落ちる雨さえも、美しい里山の風景となじみ、ここに来ると、心穏やかな空間に身を寄せられるのです。

先に来ていたお客さん2組が、「それではお先に」と言って席を立つ。束の間、私以外にお客さんがいなくなり、オーナーの戸村さんとお喋りに花を咲かせていたところ、ドア越しに、遠い記憶の中で、見覚えのある男性が、こちらを見て佇んでいいました。
少し驚いた様子で、でもどこか確信的に。

「え、なんで?」

私は心底驚いて、それ以外の言葉が出てきません。

「え、なんでなんで?」

そこにはいたのは、本来そこにいることがまるで想像できない人でした。

それは、バルセロナオリンピックが開催され、サッカーJリーグがスタートし、日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんが宇宙へ行った、はるか昔の過ぎ去りし中学時代に、毎日のように顔を会わせていた部活動の顧問の先生だったのです。
あの頃より、やや腰回りに「貫禄」を増した、でも20年以上前からそうだったように、「子ども(教え子)を子ども扱いしない理解のある大人」然とした様子はまるで変わらず。

「おまえさんが、前に学校に来てくれたときに、コーヒーの仕事やってるって言ったから、おまえさんのコーヒーが飲める店に行こうと思って、ネットで調べたら、ここのカフェが出てきたんだよ。それで今日、はじめて来たら、いきなりおまえさんがいるもんだから。」

おまえさん、って呼び方が、なんとも先生らしくて、同級生のキタオカが聞いたら、絶対に笑い転げるだろうなと思いつつも、絶句。

たしかに一年ほど前、急に思い立って、キタオカと一緒に、先生の居場所を探し出し、今、勤務している学校に突撃訪問したことがありました。それが十数年ぶりの再会で、そこから一年。その際、コーヒーを買いたい、と言ってくれた先生に、
「また新しい豆が入ったら買ってください。」
と、私が答えたようで、「一体、いつその豆は入るのだろう」と、一年もの間、心の片隅に置いていてくれていたことにも驚くのですが、それにも増して、浜松に帰省するわずかな日程で寄った里山のカフェでの思いもよらぬ遭遇。

カフェからの帰り道、いつもより高めの心拍数と、いつもよりも大きめの鼻歌を響かせ下山。

この恩師との偶然の再会は、これまで歩いてきた人生(みち)を、首が違えるくらいに振り返らせるきっかけとなりました。

中高の部活動、練習嫌いの私には苦痛でしかありませんでした。中学時代は、持って生まれた体力だけで乗り越えたけれど、高校生になってからは、それだけでは太刀打ちできなくなっていました。ようやくやる気を出したときには、すでに手遅れだったのに、最後の試合となった瞬間から、何日も涙が止まりませんでした。後悔という言葉を、噛みしめていました。

それから、海を越えた場所に移り住んだり、サラリーマンしたり、学生やったりしながら「起業」への気持ちが高まる中で、手にしていたものが「コーヒー」でした。
具体的な事業計画もないのに、3年もすれば、何か国もの産地との取引が生まれていると思っていました。たくさんの仲間を得て、一緒に働いているところを想像していました。でもこれまでの5年間、メキシコ1か国とつながっていることに必死でした。メキシコにある1つの組合のコーヒーを販売することに必死でした。創業する際に思い描いていたことは、なにひとつできていないと悲観することばかりでした。
だけど、道草ばかりの人生(みち)を振り返ったときに見えたものは、不格好で、散らかっていて、道とも呼べぬ道でしたが、思えば、どんな道を歩んでいても、途中途中で、必ず、手を差しのべてくれる人がいて、「がんばれ」と言って励ましてくれる人がいて、背中を押してくれる人がいて、一緒に並んで歩いてくれる人がいたように思います。

豆乃木を創業して5年が経ちます。
本当は、自信もないし、不安だし、ときどき、投げ出したくなるときもありますが、里山カフェでの恩師との偶然の再会(チームの大黒柱であるべきピッチャーでありながら、乱調で幾度もゲームを乱す20年前の教え子のためにと、足を運んでくれた恩師がいること)に、心から感謝します。自分で歩んだ道を、たまには、よしよし、と承認してもよいのだと、初めて心から思いました。

5年前から私の人生は「豆乃木」そのものです。
まだまだ幼木ではありますが、この頃、ようやくぽつりぽつりと、実がなりはじめました。ハッタリではなく、一歩踏み出す勇気と覚悟が、今の私、そして今の豆乃木には備わったような気がしています。6年目も、楽しみでなりません。