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豆乃木がなる日 Story of mamenoki そして浜松へ 

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豆乃木がなる日 Story of mamenoki そして浜松へ

事務所移転と「お母さん」の存在

浜松に拠点を戻そう、と思ったのは、フェアトレードタウン運動が盛んになった2016年の頃。
そして、2017年6月12日、月曜日。その日から、豆乃木は、友人家族の好意で、浜松市西区舞阪町の小屋を、作業場として利用させてもらうことになった。


「とりあえず、1年間は甘えさせてもらおう」


と、思ったけれど、実は、その家族には、17、18歳の頃から、ずっと甘えっぱなしだった。


その建物は、高校時代の友人家族の実家に隣接していて、高校3年生という大切な時期にも関わらず、通い詰めていた場所だった。ふたりとも勉強もせずに、遊んでばかりいた。
週に2~3度は、その家でご飯をご馳走になり、そこから学校に通うこともあった。そんなときは、決まって、その家の「お母さん」が弁当を作って持たせてくれた。

その後、私は大阪の専門学校へと進み、ひとり暮らしをはじめた。
間もなくして、その家の「お母さん」から、小包が届いた。たくさんの食料品が詰まっているその中に、その家で、よく食べさせてもらった、私の大好物、「お母さん」の手づくり紅しょうがも入っていた。私は大好きな紅しょうがすぐになくなってしまわないように、大切にすこしずつ食べていたけれど、結局、食べ終わる前に、専門学校をやめ、浜松に戻ってきてしまった。


友人は、20代後半で結婚し、舞阪の「実家」を出た。
その後、ふたりの子どもに恵まれ、すっかり母親となったのだが、それはそれは居心地のよい「実家」だから、頻繁に「実家」に出入りしている。

私も、その友人が結婚したあとも、友人に会うために、「ともだちの実家」を訪ねる。
未だに、晩御飯をご馳走になりながら、何かのきっかけで、「物置になっている小屋」の存在を知り、あれよあれよという間に、「お母さん」が大量に収納されていた物を片付けてくれて、正式に「作業場」として使ってよいことになったのは、今年に入ってから。



そして今。
その友人にも、ときどきアルバイトで手伝ってもらいながらも、ほとんどの時間、私はひとりで、その小屋でデスクワークやら作業やらをしている。
2日目、お昼になると、「お母さん」が、私のためにサンドイッチを持ってきてくれた。2つの大きなサンドイッチを持って来て、

「せいこちゃん、これじゃ足らないら?」
としきりに聞いた。私は1個でも十分に大きなサンドイッチを受け取りながら、
「ほんとに十分だに。ありがとう。」
と言って、また甘えてしまった。

たまに会うから喜んで、懐いてくれていた友人の子どもたちも、6月12日以降、毎日見る私の姿に、さすがに反応しなくなった。
恩返しすべき人がここにもいる。20年も前から、与えてもらってばかりの「お母さん」、ありがとう。